公益財団法人 白山麓僻村塾

活動の記録

2006年度[第15期]
2006年9月24日/白峰 望岳苑

星野道夫が遺したもの

湯川豊
湯川豊/1938年、新潟県に生まれる。(財)白山麓僻村塾評議員長。東海大学文学部教授。64年文藝春秋に入社し、「文学界」編集長、常務取締役を経て2003年退社。その間、敏腕編集者として数々の作家を育て上げた。優れたエッセイストとしても知られ、著書に『イワナの夏』がある。現在、毎日新聞書評を担当中。
  児童文学者の神沢利子は、若い頃に宮澤賢治の『なめとこ山の熊』を読んで激しく心を揺すぶられたという。生きるということは、他の生き物を殺し生命力をもらうこと−賢治の童話で彼女はそれに気づき、やがて物語を書くようになった。このことを知ったとき、星野道夫を思った。それは星野が熊に襲われて死んだからではなく、星野がアラスカで発見した世界観と同じようなものが、賢治と神沢に流れていたことに新鮮な驚きを覚えたからだ。
  生命は他の生命に依存している。そういう「約束」の上に実は命が成り立っている。他の生命を殺して、血を流さなければならない、その血を自分の体に入れて生きていかねばならない。だから星野は「約束とは、血の匂いであり、悲しみという言葉に置きかえても良い」と書いた。星野がアラスカの先住狩猟民との交流から到達したのはこの世界観だった。
  人間と自然の関係を考えるということは、自らの生命をどうやって維持しているか、その原点に帰って考えることだと思う。そしてそれは、生命の連鎖、生と死の連続を実感することでもある。星野はその感受性を豊かに持った人だった。だからこそ彼の写真からは自然とは何か、人間とは何かという問いかけが伝わってくるのだろう。人間の原点を考えた人として、星野の著作をぜひ読んでみてほしい。