■2007年度[第16期]
2007年6月30日/白峰 望岳苑
俳句の楽しさ8
名句の条件
鷹羽狩行
鷹羽狩行/1930年、山形県に生まれる。俳人。「狩」主宰。(社)俳人協会会長。山口誓子、秋元不死男に師事し、65年句集『誕生』で俳人協会賞受賞。74年『平遠』で芸術選奨文部大臣新人賞。99年文化関係者文部大臣表彰、2002年毎日芸術賞受賞。
私にとって名句とは、美しい日本語を正しく用いて、一読して意味が分かり、読めば読むほど味わい深くなるものだ。
俳句は「型の文芸」、「選の文芸」といわれるが、さらに「読みの文芸」だ。いかに俳句を読み、解釈するか。この読みができないと名句は選べない。そのために必要なのが「季語」の理解だ。
俳句がわずか十七音でありながら、深く、複雑微妙な内容を盛り込むことができるのは「季語」があるからだ。季語というものを理解しなければ、いい解釈はできないし、季語の働きがなければいい句にはならない。
また名句はいろんな解釈が可能なものだ。そして、時代によって解釈が変わり、新たな意味が加わってくる。
<秋深き隣は何をする人ぞ>芭蕉
芭蕉はこの句で秋の寂しさを詠んだ。が、時代を経て、今日では「都会の断絶」を感じさせないか。
<古池や蛙飛び込む水の音>芭蕉
この英訳は100を超えるという。名句は、国際化によっても解釈が変わってくるものなのだ。
コロンビア大の白根教授は「日本の俳句の偉大さは、絶えず複数を生み出すこと」と述べた。まさにその通りだと思う。名句には十七音全体に季語が響き渡っている。そんな名句を鑑賞し、次の新しい名句を生んで欲しい。