公益財団法人 白山麓僻村塾

活動の記録

2012年度[第21期]
2012年9月23日/白峰 望岳苑

石牟礼道子という作家

池澤夏樹 
池澤夏樹/(財)白山麓僻村塾理事長。小説家、詩人。
『スティル・ライフ』芥川賞、『母なる自然のおっぱい』読売文学賞、『マシアス・ギリの失脚』谷崎潤一郎賞、『すばらしい新世界』芸術選奨。
 石牟礼道子という人を知ったのは高校生の時、テレビの中でだった。いま水俣で何が起こっているかを、頭の中で、必死に言葉を探しながらしゃべる彼女の姿が深く心に残った。それから50年が経った。
 石牟礼さんは元々、歌人であり、水俣に暮らす普通の主婦だった。それが自分のよく知っている漁師から患者が出る。その姿を見る。話を聞く。これは書かなければならないと思い、最初は短歌で、やがてそれでは収まらないと、自分の文体を作って『苦海浄土』にまとめた。
 石牟礼さんは病気がいかにひどいものか、チッソと国、県がいかに冷酷であったかを訴える。でもそれだけで本を書きはしなかった。
 これは告発だけの作品ではない。むしろ全然違うものだ。ここには病気が始まる前、水俣がいかに幸せな場所であったか。漁師たちがいかに満ち足りた、いい暮らしをしていたかが描かれている。だからこそ、この病気が何を奪ったのかがわかる。そして、工場とか、高度経済成長とか、そういう日本の近代化の産物とは無縁のところに人々の幸福はあったということに気づかされる。
 この本は、今の日本のありようについて、とても大事なことを教えてくれる。間違いなく戦後の日本文学の最高峰だ。ぜひ、読もうとしてほしい。