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生老病死を考える~日本の自然と文化の中で~・岸本葉子
生老病死を考える~日本の自然と文化の中で~・岸本葉子
平成25年7月27日午後3:00~・白峰 望岳苑
生老病死を考える~日本の自然と文化の中で~・岸本葉子
岸本葉子/エッセイスト。1961年生まれ。東京大学卒業後、会社勤務を経て、北京に留学。2003年自らの闘病を綴った『がんから始まる』が大きな反響を呼ぶ。『欲ばらないのがちょうどいい』『ちょっと早めの老い支度』など著書多数。

今日の話は実感しにくいと思う。死をどう捉えるか、という話になるからだ。
 現代の日本人が死を意識する時間は確実に長くなった。平均寿命が延び、病とともに生きる人が増え、加えて、東日本大震災など自然災害のインパクトは私たちの日常が決して強固なものではないという認識をもたらした。そんな流れの中で、社会的にスピリチュアル(霊的)への関心が高まりつつある。
 興味深いことは、医療の最先端の現場でそれが起こっていることだ。死と向き合わざるをえなくなったとき、少なからぬ人が<生きる意味>を問う。宗教ではなく、生と死、あるいは存在の意味を深く問うものとしてのスピリチュアルだ。
 2001年に癌の治療を受けた。科学の恩恵と同時に限界を感じ、死について深く考えた。死を考えることはつまり「時間」について考えることだった。
 私たちは、今日があり、昨日があり、明日があるといった、等間隔のメモリが刻まれ、一方向に同速度で流れていく直線モデルを生きている。そのどこまでも続く直線から自分がいなくなるのが「死」であり、自分が死んだ後も、自分抜きの直線がずっと無限に続く。そして、この無限の果てに「永遠」がある。合理的に考えればそうだ。だが、私はこの考えに満足できなかった。それは、日本の自然と文化の中で培われた死生観が私の内にあったからだ。


 
生きかはり死にかはりして打つ田かな 村上鬼城

 生き死にを繰り返して、田を耕し続けることを詠んだこの句に共感するとき、時間には直線以外のモデルがあるのではないかと想像したくなる。そうやって、考えたのは時間の円環・重層モデルだ。
 直線モデルでは、決して手の届かない先にあると思われた「永遠」が、円環・重層モデルでは、私たちの、いま生きている時間層の一番下に、動かない点として存在する。そして、この「永遠」こそが、根源的命であり、実はそのエネルギーで私たちは貫かれている。だからこそ、日常の中で、「これは永遠に触れている時間」と思える瞬間がある。
 円環的な時間モデルを持っていると死が怖くなくなるわけではない。でも、どこか心が楽になる。死を捉えるときのヒントになったら嬉しい。 
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