■2009年度[第18期]
2009年6月20日/白峰 望岳苑
宮本常一に読む山村生活
湯川豊
湯川豊/1938年、新潟県に生まれる。(財)白山麓僻村塾副理事長。京都造形芸術教授大学。1938年生まれ。元文藝春秋常務取締役。著書に『イワナの夏』『夜明けの森、夕暮の谷』『須賀敦子を読む』読売文学賞。
民俗学の宮本常一は山村をどういうふうに捉えたか。それを知るなら宮本の著作『日本民衆史〜山に生きる人々』が詳しい。この中で宮本は、水田を営む集落が「田んぼの連続として土地が開かれている」のに対し、山では「畑が独立し」、その周辺に点在して集落があることに注目した。そして、平野と山、二つの生活のあり方に隔たりがある以上、日本文化を「米」で統一するには無理がある、山村の生活を見直すべきだ、と考えた。これは大民俗学者である柳田國男への挑戦でもあった。柳田は、日本文化は米の文化であると定義した。南から北上した米が日本全体を覆って、縄文以降の日本文化を形成したと考えたのだ。だが、白峰と同じく、かつて日本の山岳地帯にはすべて「焼畑」があった。山を焼き、畑を作り、食物を育て、最後には養蚕のための桑を植え、現金収入の道を得る。現金は山にはないものに変える。例えば、塩や油。そういう「畑」を中心にした生活様式が実はあった。そしてそれは、「米」を中心とする生活様式と平行して存在するものだった。これを明らかにしたのが、宮本の足を使った調査だった。
日本文化をひとつの色で見てはいけない。宮本はそう教えてくれているのではないだろうか。