■2009年度[第18期]
2009年8月23日/白峰 望岳苑
宮本常一の見たもの
湯川豊・塩野 米松
湯川豊/1938年、新潟県に生まれる。((財)白山麓僻村塾副理事長。京都造形芸術教授大学。1938年生まれ。元文藝春秋常務取締役。著書に『イワナの夏』『夜明けの森、夕暮の谷』『須賀敦子を読む』読売文学賞。
塩野米松/作家。昭和22年、秋田県角館生まれ。作家として活躍する一方、失われゆく伝統文化・技術についての聞き書きを精力的に行う。
比類なき大旅行家であった宮本常一は、カメラを持って、行く先々の写真を撮った。昭和30年から昭和55年まで、実にその数10万。その中から代表的なものをセレクトした写真集が出版された(「宮本常一が撮った昭和の情景上・下」)。この中で、特に心ひかれるのは、働く人々の姿だ。熊本県蘇陽峡の籠づくりの男とその背後にある竹籠の美しさ。長崎県宇久島の八十歳を越える海人の魏志倭人伝の住人のような姿。リヤカーに藁と子どもたちを積んで野良仕事から帰る父親。ほかにもまだまだたくさんある。宮本の写真に共通するのは、人と暮らしに注がれる、あたたかい視線だ。例えば、宮本は棚田の写真を数多く残しているが、そこから受けるのは、自然とともに生きる人たちの労苦に対する宮本の優しさだ。かつて宮本は「日本人自然を愛し、自然を大事にしているというけれど、それは日本でも上流社会に属する一部の、自然に対して責任を持たぬ人達の甘えではなかったかと思う。自然の中に生きたものは、自然と格闘しつつ、第二次的自然を作り上げていった」と述べた。これは日本全国の田舎を回った宮本だからこそいえることばだろう。自然のそばで生きる、そのことの意味を、宮本常一を通じて、もっと考えてみたい。