公益財団法人 白山麓僻村塾

活動の記録

2009年度[第18期]
2009年11月21日/白峰 望岳苑

土地と人間と文学

池澤夏樹
池澤 夏樹/(財)白山麓僻村塾理事長。小説家、詩人。『スティル・ライフ』芥川賞、『母なる自然のおっぱい』読売文学賞、『マシアス・ギリの失脚』谷崎潤一郎賞、『すばらしい新世界』芸術選奨。芥川賞選考委員。
文学の一番の基本形は「人と人の仲」だ。ある人がいて、別の誰かがいて、その二人の間で何かが起きる。そのなかで「土地という概念」がいかに大事か、という論を立ててみた。ところが、そうでない小説がたくさんあることに気がついた。例えば、『坊ちゃん』。松山を舞台にしながら、土地は彼らのドラマに直接はかかわってこない。松山的性格というものがあって、赤シャツが嫌なやつなのはそのせいだ、とは漱石は絶対言わない。『カラマーゾフの兄弟』の場合はもっと顕著だ。ロシアの架空の町を舞台にした大傑作も「土地」は単なる背景でしかない。その一方で、土地というものが背景以上に、「舞台装置のように」大きな役割を果たす文学もある。大岡昇平の『武蔵野夫人』『野火』はまさしくそうだろう。自分はやはり後者の方だ。土地と人間の関わりが好きで、そこから抜け出すことができない。それは言い方を変えれば「旅が好きだ」ということになる。旅は「土地との出会い」だ。それがとにかく面白い。そして何より、人と土地がぶつかることで見えることが確かにあるのだ。しかもそれは文学でしか表現できない。日本文学はもともと、俳句や和歌のように、土地や自然を感情表現の器として利用してきた。そんな観点があることも知ってほしい。