■2011年度[第20期]
2011年5月28日/白峰 望岳苑
旅する人々
湯川 豊
湯川 豊/((財)白山麓僻村塾副理事長。文芸評論家。1938年生まれ。元文藝春秋常務取締役。著書に『イワナの夏』『夜明けの森、夕暮の谷』『須賀敦子を読む』読売文学賞。
人はなぜ旅をするのか。旅行好きというのはどういう姿をしているのか。二人の文学者から紹介したい。作家の吉田健一はエッセイのなかで「旅ほどいいものはない」「ああ、旅に出たい」と呟く。旅行好きが高じて、<行商>になりたいとまで考えるような人だった。しかし、面白いことに、旅行記や紀行文をほとんど書いていない。わずかに残した旅の文章の中に、吉田健一の独特の旅が見える。吉田にとって、旅は日常の連続でなければいけなかった。ただ、行った先に<日常とは別な時間>が出現しなければならなかった。そんな時間の中で、自分が生きていることを確認する。それが吉田健一にとっての旅だった。
一方、開高健には旅行記がたくさんある。世界を股にかけたたくさんの旅を、それこそ何かに衝き動かされるようにした。それは、日常から、家庭から、そして小説を書くことから<逃げる>とも言えるものだった。代表作の一つ、『夏の闇』はそんな開高の旅というものを象徴した小説になっている。しかし、開高のエッセイにはこんな一行もある。ある日、奇跡的な釣りを終えて彼はこう書いた。「完璧な、どこにも傷のない、稀れな日。」結局、こういう一日を求めて、彼は世界中を旅したのかもしれない。