■2011年度[第20期]
2011年6月26日/白峰 望岳苑
いま、東北を考える
塩野米松
塩野 米松 /作家。1947年生まれ。作家として活躍する一方、失われゆく伝統文化・技術についての聞き書きを精力的に行う。『木のいのち木のこころ』。主な著書に『手業に学べ』他多数。
3月11日の大震災。これは嘘だ、夢だと思いたかった。被災地で見た、自然の力の凄まじさ、そして原発事故。東北がかつてこれほどまでに注目されたことはない。だが、一連の問題を東北以外の人間がどこまで感じられるかと考えれば、やはり温度差はある。
あの日以来、「東北振興」という掛け声が一斉に上がっている。実はこの言葉は過去、何度もこの国では使われてきた。前に話した田沢湖の国策事業は、「東北振興」の名のもと、結果として、田沢湖を死の湖に変えた。玉川毒水の導水によって貴重なクニマスは全滅し、漁民はわずかな保障で廃業した。国の論理はこうだ。この事業がなければ、電気が起きない。産業が止まる。秋田は米の産地として生きていけない。あなたたちはどちらを選びますか?これは、いま福島で起きている問題、我々が直面するエネルギー問題と全く同じことだ。“経済”を考えたとき、ここなら大丈夫という場所が、東北もしくは僻地の原発立地地域だった。その裏側には、人間の心に潜む差別感がある。だから、復興に向けて必要なのは、東北を、人間を、日本人の暮らしを、世界の中の日本をどう考えるか、そのような視点と理念だ。時間がかかったとしても、それを踏まえた行動を日本は取るべきだ。