■2011年度[第20期]
2011年7月23日/白峰 望岳苑
今年5月末、
僕がワルシャワ大学で
話したこと、考えたこと
辻原登
辻原 登 /小説家。1945年生まれ。『村の名前』芥川賞。『翔べ麒麟』読売文学賞。『遊動亭円木』谷崎賞。『枯葉の中の青い炎』川端康成文学賞。『花はさくら木』大佛次郎賞。
5月にワルシャワ大学で講演を行なった。1919年創設という「日本学科」(日本語科ではない)で学ぶ生徒たちに、日本文化と歴史のシンクロニシティについて話をした。それを今日は再現する。
2004年、遣唐使の墓誌発見をメディアが報じた。見つかった碑文によって、これまで知られていなかった「井真成」という人物の存在が、歴史の闇から躍り出た。ここにその(漢文)翻訳がある。格調高い日本文だ。これが翻訳であると同時に、読み下し文になっていることに注目したい。よく考えるとこれは奇妙かつ玄妙なことだ。中国語という外国語を、そのまま日本語で読めるのだから。この画期的なシステムを作ったのは、我々の祖先だ。元々、文字がなかった日本は、膨大なエネルギーを注ぎ、文字とは何か、書くとはどういうことかを中国から学んだ。その延長線上に、遣隋使、遣唐使がある。音訓併用という読み書きの方法が確立するにつれ、文明が進み、歴史が残った。その国家事業の中心にいたのが、井真成であり、阿倍仲麻呂だった。
1997年に阿倍仲麻呂らの活躍を描く小説を書いた。そのときはもちろん、井真成の存在は知らなかった。だが歴史的事実の発見によって、異国で奮励した日本人の姿が鮮やかになった。それらは我々に深い感慨と勇気を与えてくれるものではないだろうか。