■2011年度[第20期]
2011年11月13日/白峰 望岳苑
旅する人々2
湯川豊
湯川豊/(財)白山麓僻村塾副理事長。文芸評論家。1938年生まれ。元文藝春秋常務取締役。著書に『イワナの夏』『夜明けの森、夕暮の谷』『須賀敦子を読む』読売文学賞。
人が旅をする理由はさまざまだ。見出す意味も違う。しかし、共通点はある。移動することによって、世界を捉え直す視点を得るということだろう。中国文学者の高島俊男のエッセイ『女の学校』は、宮本常一の『女の世間』を地で行く話だ。瀬戸内海地方の習俗として、嫁入り前の女性がかつては旅をして見聞を広めていたと宮本は述べたが、その実践者が実は高島の身内にもいたという。これは宮本の話を裏付けていて面白い。
日本近代を代表する詩人に金子光晴がいる。彼の旅は放浪と呼べるものだ。目的がない。お金もない。何のためにしているのかわからない。流れに流れているということが一種の快感であったように思える旅だ。その放浪を1冊の本にしたのが『マレー蘭印紀行』だ。金子の目がとらえた東南アジアの自然と人間は、読むものを引きつけて離さない。
一方、民俗学者の柳田國男には東北を舞台にした『清光館哀史』という一編のエッセイがある。これは日本の辺境の地にある貧困を、その中で生きるという意味を、旅の中でしっかりと捉えたものだ。どれもすばらしい作品だ。旅の記録として、ぜひ読んでほしい。